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「成功の9ステップ」オーディオコース (CD10枚組)


成功の9ステップを自宅で聞くことが
できるCDセットです。いきなり15万の
セミナーは…という方は、まずはこの
CDセットでセミナーの内容をつかみましょう。
ライブセミナーを受けた人は、復習に最適です。




あなたの夢を見つけ、あなたの夢をカタチにする! 「ir大学」

決断

人間には自問する時間が必要だ。1日数分でも。
新しい自分の可能性を見出すために。
新しい人生を作り出すために。

毎日ただ忙しく動いて考えないようにしたり、没頭できることをして気を紛らわせるだけでは、自分が本来やりたいことを考えず、生活に痛みがあっても耐えながら過ごすことになる。

 それは有意義な人生を作り出すことを己から放棄しているようにも思える。

 数年前、私は布団の中で考えていた。
 「もう嫌な仕事を押し付けられるのは絶対にごめんだ!」と。
 そしてそんな状況を断ち切ることを決断した。
 それは数分のことだった。
 それを思ってから、すぐに眠った。

 そして次の日社長に会社を辞めると告げた。
 その数分後、フリーランスとして会社に雇われた。
 仕事を選べる立場になった。


 そしてその数年後、私は本を読みながら思った。
 「自分が本当にしたいことを我慢しながら生きるのはもう絶対にごめんだ!」と。
 その決断を付箋紙に書いてモニタの脇に貼った。
 その日から金銭的に縛られないための方策を実行した。 

 すぐに、会社に毎日いかなくてもよくなった。
 自分でそうなるような提案を会社にした。
 数十ヵ月後、会社をやめても生活できるようになった。
 その1年後、自分の会社を作った。
 今は自分がしたいことや考えたことを仕事にして生きている。

 決断することは確実に人生を変える。

 決断とは、決めて断ち切ることである。
タグ:決断
posted by ジェイ・ロビンズ at 23:32 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

希望的思考(2)

ニヒリズムを助長する「どうなるのか?」という
考えから端を発する傍観者的視点。

それをひるがえしたのは、
「ニーチェ入門」(ちくま新書)という本でした。

この本の表紙にはこう書かれています。

「ニーチェは答える。世界と歴史の時間にはどんな
『意味』も存在しない。それにもかかわらず君は生きねば
ならず、『なんのために』ではなく『いかに』生きるかを
自分自身で選ばなくてはならない」

世界は無意味です。私の人生は無意味です。
私がそれを活用するという決断をするまでは。

実は、この本の表紙を見たとき、おぼろげに考えていた
「人生とは、自分で意味をつけていかねば意味などないのだ」
という考えと合致したので、ガッ! と頭にこの考えが
定着しました。

なにかが起こったからアクションを起こす「対応者」ではなく、
積極的に自分の人生に意味をつけていく「率先者」としての
人生を送ろうと思い始めたのはこの瞬間からだと思います。

だから、自分の欲求に正直になろう、ダイレクトにそれを
叶えるようアクションを自ら起こそう、と思い始めました。

変えがたい世の中の「流れ」はあります。
しかし、その川でカヌーを操縦し、自分の行きたいところを
決め、梶を取るようになっていったと思います。

自分の決断が優先すると、外部に影響されて「なる」のではなく、
自ら「する」ようになる。

自分で「する」ことで、それに「なる」ようになる。
悲しいことがあってもその状態に「なる」ことはない。
自分でその出来事に意味をつけ、悲しさができるだけ小さく
なるよう解釈「する」。

出来事に左右されるのではなく、意志の力で出来事を作り出す。
「どうなるのか?」ではなく、積極的に「どうするか?」を
行動していく。

そうすることで、自分の人生が手に入ると、今では
思っています。
タグ:希望 思考
posted by ジェイ・ロビンズ at 22:27 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

希望的思考

これから自分はどうなるのかなあ、と昔はよく考えましたが、
今ではあまり考えなくなりました。

なぜかというと、それには思考のシフト(移行)が、
ある日を境にして起こったからなんです。


「どうなるのか?」と考えるのは、傍観者的な視点なわけです。


それは自分の力が全く及ばない変化で世界は動いていると
いう思想が根底にあり、無力感と虚無感が伴っていることが
多い。運命論的でもあります。

実際私も、「どうなるのかなあ」と考えた後は、
「このまま虚しく定年までこんな生活なのかなあ」
「人生ってなんだろなあ」「思いどうりに行かないなあ」と
連鎖的に考えたりすることが多かったように思います。

そして「どうせ」とか「結局は」とかが語頭につく
ニヒリズム語を多く使い、諦念に浸って自己憐憫する事も
ありました。
しかし、やりきれない状況なのです。
ニヒリズムに浸っても、なにも解決しません。
葛藤は続き、生きるのがなんだか無意味な氣がしました。

でもその思想は、ある本を読んで、ある衝撃的な考えに
触れてから、徐々に転回していきました。

(続く)
タグ:希望 思考
posted by ジェイ・ロビンズ at 22:26 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

己の欲するところに従え!!

「人は意味を求める。
 しかし求めてはいけない。
 それはあるものなのだ。
 己の中に作り出してそう在ろうとするものだけに
 意味は宿るのだ。

 ゆえに、己で己をコントロールできずに
 己の人生の意味はありえない。

 どう在るかを己で定めよ!」

−−−−−−−−−−−−−−−−
 こういうセリフが出てくるゲームってありますかね。
 オウガバトルとかそのシリーズあたりに出てきそうですが。

 メモ。
 今日はよっちと飲んできました。
 ネットのメディア展開は、やはり「組み合わせ」で
ひねりが生まれるなあと痛感。
 「これいけるよ!」というアイデアが出た。

 そして主軸になるのはやはり「メール」だと再認識。
 SEOはお金がかかるし、コントロールレスなので。

 経営者と管理者と職人の比率の話も。

 自分は経営者としての人生を進みたいと思っていますが、
やはり整理好きの管理者、一人で打ち込むのが好きな職人の
顔のほうが前にグイグイと出てきます。
 プログラムなんかは整理整理の仕事だし、ゲームの
コンテンツなんて職人の魂の結晶化みたいなもの。
 でもどんなゲームを広げていきたいか? のビジョンが
必要なんだよね。ビジョン。これ重要。

 あとなんとなく思ったのが、零細企業のビジョンを
いだいちゃ駄目だなってこと。
 大企業というのは、最初から大企業なんです。
 描いているビジョンが最初から大きいから。
 小さい会社が大きくなるわけじゃないんですよね。
 NTTドコモみたいに。

 ビジョンを小さくまとめようとすると、小さいままで
終わっちゃう。
 だから風呂敷を大きく広げるのは必要だなと思いました。
 ビッグアイデア、ビッグビジョンを最初に持つ!!

 あとなんだっけ? プル型とプッシュ型のメディアの話とか。
posted by ジェイ・ロビンズ at 22:25 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(1) | 日記

お金の話

 日本は「欲望は苦しみを引き起こす」という教義の仏教文化の影響を
すごく受けていて、俗世的成功、つまり富を得ることを蔑視する傾向にある。

 フリーになって、複利的収入や生活=収入、両がけなど、いろいろお金について
考えて実行してたら「ジェイは金かかるんだよ〜」と社長に言われたり(笑)、
飲み屋でトイレから帰ると「ほら、ジェイの得意な金の話になってるよ」とか
言われたりして、「やっぱりそう思ってるかよ!」 と三村風に思ったりしました。


 かくゆう自分も「世の中金じゃない」などと考えていたわけですが、
それは結局、日本の宗教文化が「金=悪」の構図を作っていて、その
影響を受けたからそう考えるようになったんだ、と、いつしか気づいた
わけです。
 自然の上に社会があるというパラダイムにより気づいたわけです。


(それ以外にも社会的通念で「思いこんでいただけだった」事は
沢山ありましたし、まだあると思います)。


 気づく前は、アメリカのビジネス書を読んでよく驚いたんですよ。


 「貧乏は病である」とか「日本の清貧の思想は
結局ひもじさを正当化してるだけ」などと書いてあるもんですから。


 特に強烈だったのは鉄鋼王アンドリュー・カーネギーの言葉。
 子供の頃に貧乏で親が揉めるのを見て、


「お金がないと、人はダメになる!
 貧乏だと人はダメになる!」


 と思い、金持ちを目指したそうです。
 すごいです。子供なのに言いきってます(笑)。


 確かに、給料が少ないと生活の安心感が少ないです。
 ちょっとピリピリイライラすることが多くなります。


 そして世の中で揉めるのはいつも金銭関係です。
 「金なんかなくなればいい。そうすれば世の中は平和なのに」と、
誰かの有名な言葉がありますが、叶わぬことです。
 つきあっていくしかないのです。


 清貧の思想は、「人間は物質的な面を排除しても、精神的に
豊かになれる」という実に美しい文脈を持ってますが、現実的に
それはどうか? 生活を語るにはちょっと精神世界寄りで、無理がないか?
というのが私の実感です。


 合理的に考えて、お金は、病気、結婚式などのイベントと、いろいろな局面で
けっこう必要になる。

 それから、目標達成や、人生を味わうための楽しみ、たとえば世界を周って
ナイアガラの滝見物、スペースシャトルの打ち上げ、オーロラの幻想的風景、
エアーズロックのオレンジ、それからさまざまな世界文化、そういうのを
見るためにもお金は要るな、と。

 一度だけの人生ですし。

 ゆえにもっと稼げる方法を探そうと思うのです。
 そうすれば生活の中で困ることも少なくなり、自由は拡張される。
タグ:お金
posted by ジェイ・ロビンズ at 01:20 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

自分がよく思う言葉

自分がよく思う言葉。

●できない可能性を探すのではなく、できる可能性を探せ。
そうでないとなにも進まない。
世の中には批判する人と提案する人がいる。
目に見えるのは批判する人。なぜなら彼らは叫ぶのが仕事だからだ。
提案する人は叫ぶヒマなどない。提案し、それを実行するのが仕事だからだ。


●試したアプローチがうまくいかないのなら、別のことをやれ。なんでもいいから!
そうでないと停滞する。
同じテストは2回まで。
毎回、違うことをして、成功するまでやれ。
うまくいかなかったら、成功までの選択肢が絞られたと思うこと。
成功に一歩近づいたのだ。


●世の中に失敗などは無い。あるのは成功と学びだけだ。
失敗はそう認めてしまったとき、失敗なのだ。
諦めたらそこで終わりだ。
だめだと言ったら、だめになる。
失敗という「現象」は現実にはない!
ただ自分がそう解釈してしまっているだけだ。
だから諦めるな!
posted by ジェイ・ロビンズ at 23:10 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

どうなるかではない。どうしたいかだ。

どうなるかではない。どうしたいかだ。

ノリツグ
posted by ジェイ・ロビンズ at 23:07 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

権謀術数

 世の中には権謀術数を駆使して、なるべく他の人より楽に生きようとする人がいる。
 そういう人は、とにかく何事も疑ってかかる。
 正か誤か、聖か邪か、ではなく、どちらが有利かで見る。
 もしくは、どちらが面白いか。

 それでも、一般常識的な社会通念は把握していて、議論の盾としてそれを使う。
 大勢に同意される意見は強いからだ。

 だめな部分といい部分を挙げて比較するのも得意だ。

 これはまっとうな物事の比較の仕方には違いないが、特徴として、「前から思ってたけど、こういうる悪い結果に転がったらどうするの?」という警鐘で終わることが多い。
 解決策を提案するのではなく、警鐘で終わるのがミソ。
 根本的な精神が批判精神なのだ。
 なにも作り出さない代わりに、批判だけをする。

 さてスノッブな人間に思われるには、こういう疑念を抱く人間になればよい。
 両面からの意見を出せる人はバランス感覚があると褒められる。

 でも実際に成功する人は、失敗をものともせずに何度も挑戦する傾向が強い。
 つまり疑ってかかることより行動することの比率が高いということだ。

 成功する人も、正しいか間違っているかでは見ない。
 目的に到達するために、どちらを取ることもある。

 議論に勝つ唯一の方法として、議論をしないようにしよう。
 そして議論をするかわりに行動しよう。なにかを作り出すことで、メッセージを伝えよう。

ノリツグ
タグ:権謀術数
posted by ジェイ・ロビンズ at 22:26 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

応用

応用とは、方法を適用する対象を変えてみることである。
たとえば、外食店で使われていた心理リアクタンス効果を、ウェブサイトに使ってみる。
タグ:応用
posted by ジェイ・ロビンズ at 22:15 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

思索の再来

非常にまったり。
いつもなにかビジネスについて考えを巡らせていたんだけど、左肩の痛みで5日ほどあまり動けず、そういうときに天井を見ながら「意味的なこと」を思索していた。

ビジネスは一段落し、次の一手も準備が整い、あとは単純作業だけになっている。
もう肩は治ったけども、思考がひきずっている。

意味というのはなにかというと、自分的には今、「どうすれば充足するのか」という問いにほかならない。
どういう行動をし、どんな結果を得られれば、満足する人生を送れるのか、ということ。
いろいろ考え、軌道修正を図る段階なのかもしれないと思った。

世の中に大きな良い影響を与えること。
それによって人々が自分の意味を見出す助けになること。
生きることの歓喜を見出すこと。
クリエイションの手助けをすること。
それによって充足すること。

昔から考えていたのは、人はこの世で「きょとんとした存在だ」ということ。

人はこの世界にわけもわからず投げ入れられ、生きることを「自ら」強制する。
そのこと自体は、解釈によってこの世が行き難くもあり、行き易くもありだから、なんとか受け入れられる。

しかし、意味がわからない。
なぜ投げ入れられ、生きることになったのかが。
なにをすればいいの? それをする必要があるの? という疑問があるのだ。

しかしもともと、投げ入れられたことに意味はない。
意味などは、探してもない。
誰かに決めてもらうものではない。

わかっているのは、ただ自分が「在る」ということだけ。

どう在るかは自由。
法律とか、そういうものはもともと概念でしかない。
どう行動しようが、人はもともと自由だ。
人は自由に生まれている。

自由ということは、逆に言うと「決めないことも含め、自分ですべてを決めなさい」ということ。選択肢を見出して、選びなさい、ということ。

そう思ったときから、私は選択肢を探して、あるいは作って、選択することにした。
自分にどういう意味があるかは、自分で決めることにした。
自分にとってベストな自分が、どう行動し、どう発言すればいいかを、今仮説検証しながら、フィードバックしながら、生きている。
タグ:思索
posted by ジェイ・ロビンズ at 22:04 | 東京 ☁ | Comment(0) | TrackBack(0) | 日記

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